こんにちは!天パ少年ばりゅーです!
今日はふと思ったことについて。
久しぶりにnoteを読んでいたら、知り合いが友達同士で楽しんでいる投稿を見つけました。端的に言うと、飲み会あとに連絡先を聞いた男から届いたやり取りを見てみんなで意見を話すシーン。相手は連絡した内容が他人にバレてるとは1ミリも知らず、第三者視点で見ている僕からするとゾッとするような場面でした。
その時にふと思ったんですよね。
人は何かを選んでいるときが楽しい!のだと。
人は「〜される」よりも「〜している」ときの方が楽しいと思います。これは他にも言えることで、僕らは何かを選ぶことに喜びを感じるはず。人間はわがままでずる賢い生き物だと感じますが、その状況も踏まえて今日の話を書いてみました。
僕らは「〜する」側になりたい!
きっと、僕らはいつでも選ぶ・決める・押すみたいに自分から選びたいと考えているはず。
仕事であれば
・業務内容を決められるより、自分で好きな仕事を選びたい!
・ブラック企業でこき使われるより、自分の業務にあった企業で働きたい!
・指示を受けて闇雲に働かされるより、自分の思いも乗せてプロジェクトやイベント企画を進めたい!
恋人であれば
・表面の良さだけで選ばれるより、内面も含めて自分が好きな人と付き合いたい!
・周りの人から推薦された人より、自分が選んだ人と結婚したい!
友達であれば
・意見を押し付けて来る人より、自分も認めてくれる人と仲良くなりたい!
他人の意思だけで決められたことを自分がやるのは簡単なこと。しかし、自分の気持ちがそれを素直に受け取るかは別問題。きっと、自分が意思を持って決めたことは大事な決断になると考えます。
可能なら、良いものを作るために自分が「こうやりたいんです!」と言える環境づくりは大事だよね。
「〜される」だけでは心も体も疲れてしまう
昔、僕が大学生から聞いている植松努さんのお話でもこれに似た話が出てきます。
人は言われたことをやるだけでは無能になる。
自分から取り組めば、それは知識となり個人の成長へと繋がっていく
悲しい現実ですが、会社でも指示を受けないと動けない大人はたくさんいます。その人たちには「こうしたら、お客さんに喜んでもらえるかな?」や「人が嫌だ!と思う仕事、もっと便利に出来ないかな?」が欠落しています。指示待ちはある意味「フリーズ状態」なのです。指示待ち人間が出てしまうのは仕方ないかもしれないけど、とてももったいない!こうなってしまった人たちをどうにかしたいものです。
「〜される」のを待つだけはもったいない!
僕と同じくらいの20代であれば、まだまだ指示待ち人間に落ちることはないはず(多分ね笑)。仕事をする時間は1日の半分以上もあるのだから楽しく仕事をした方が良いです。仕事も慣れてくると業務にも余裕が出て来ると思います。その時を活用して周りを見ると多くの気付きがあるはず。今よりも良くしようと気持ちがあれば、あなたの能力も心も変わっていくでしょう。
今日から一歩でも「〜する」を初めてみよう
「〜する」は難しいことに感じるかもしれません。しかし、いつもやっていないことをやれば良いので簡単に出来ることもいっぱい!
僕が社会人の頃に小さく始めたことは以下の通り
・道に落ちているごみを拾う
・コンビニの出入りで扉を開ける
・重たい荷物をつらそうに持っている人がいたら、手伝う
・土日を使って新しい場所(飲食店・旅行先・新店舗)に行ってみる
自分を変えるのはめんどくさいことだけど、良いことをすれば自分も周りもちょっと良い気持ちになる。地道に繰り返していくと、自分の気持ちさえも変わる気がするよ。
ではまた。